[アメコミ]LAGIAの趣味部屋[アメトイ]

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アメコミ:PUNISHER(2022)#8

ザ・ハンドの本拠地に迫るアレス率いるアポストル・オブ・ウォー。

これを迎え撃つフランクだが…。

 

 

前回はこちらから↓

 

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【あらすじ】

デアデビルを退け、妻マリアを護り通したフランク。かの恐れ知らずの男との戦いを経て、フランクに与えられた“ビースト”の力を増す結果となった。腐れ縁との戦いはフランクに真に“信仰”すべきものが何だったのかを再認識させた。家族と闘争。2つの相反する存在を大事にすることこそが、フランク・キャッスルの延いてはパニッシャーのあるべき姿だったのだ。

ザ・ハンドの城に向けて進軍する武装化された死の武器商人の大部隊。
アレスはニンジャたちを捕虜にした時に、フランクたちが何処にいるかを突き止めていた。
司祭は捕虜の家族を殺害し、見せしめにしようとするが(んなことやってる場合じゃない)。
【Bullets】

前号にてマリア・キャッスルの視点で描かれたフランク・キャッスルの異常性。デアデビルとの戦いで描かれたフランク・キャッスルの家族への愛情。戦うこと、もっと言えば人殺しを求めながらも家族を大事に思う様は、これまで描かれてきたパニッシャー像に新風を起こした。ザ・ハンドの王と祭り上げられながらも、新しいオリジンが加えられようがフランクの在り方は変わらない。殺人衝動に突き動かされ、危ういながらも保ち続けている人間性こそがフランク・キャッスルを示すものであり、それに“パニッシャー”という名を与えられただけなのだ。

まあ、今号からフランクの異常性がますます強調されていくのだから色々と台無しな気がしなくもない。

ピクニックに家族を連れて行っても、頭の中は人殺しのことでいっぱい。
見かねたマリアはカウンセリングを受けさせるが…。
「俺は兵士じゃない。海兵だ」ダメだこりゃ。

そんなフランクだからこそ、身体に宿る邪神の力に飲まれなかったのかもしれない。ある意味誰よりも人間らしい攻撃性と、懐の深さを持つ男は“ビースト”由来の力を以前よりも遥かに高い精度で振るうことができるようになったのだ。捕らえた悪党の処刑場にて、敢えて彼らの枷を外して自分に向かわせ、司祭の前でその剛腕を振るう。

「キング・オブ・キラー」の振る舞いに司祭も満足気だ。全ては“ビースト”の言う通りに事が進んでいるのだから。

怒りの感情は憤怒の炎をより強く高める。
プリミティブな殺人衝動と合わせれば、人間を真っ二つに引き裂くことも訳ない。

しかし、フランクが信じる対象は最早“ビースト”でもましてやアレスでもない。フランクからすればアレスは抹殺対象だし、邪神に傅く気も更々ない。真に信じられるのは培った殺人スキルと怒りの感情、そして愛する女と自分と同じ境遇に立たされたニンジャたち。アポストル・オブ・ウォーの侵攻を目の当たりにしたフランクは部下たちを呼び、彼らに語る。ただ黙って“神”に従っていては大切な者を失うだけだ、と。“神”と呼ばれる奴らは俺たちの手で残らず倒すのだ、と。

“ビースト”を崇拝するニンジャたちからすれば「キング・オブ・キラー」の演説は憤慨してもおかしくない問題発言だろう。だが、彼らもフランクの戦いとザ・ハンドの在り方を目の当たりにしたことでその認識も変わっていた。王の号令にニンジャたちは諸手を上げ、叫ぶ。「神の下に“パニッシャー”様に祝福あれ!」

ハイ・スレイヤー?フィスト・オブ・ビースト?俺を呼ぶ時はそんな名じゃないだろ。
俺たちは“神”に風穴を開ける弾丸だ。

 

己の立ち振る舞いを見せることで、大勢の部下たちの士気を高める様はまさに王の振る舞い。そこは司祭の目論見通りだっただろうが、彼女の計画は自分らしさを取り戻したフランクによって少しづつ狂わされていく。フランクの目を覚まさせたのはアレスやデアデビルといった敵対者たち、そして妻マリアの存在。全ては彼らの存在を軽視したことから始まったことに司祭が気付くのはもう少し先の話。

そしてフランクが“戦争”の準備を進めている中、マリアもまた言いようのない不安と拭い難い苦痛に苛まれていた。フランクがどうして“パニッシャー”と呼ばれているのかは今でも分からない。それでも夫の帰りを待つ。夫から手渡された銃を握り、ベッドにうずくまる姿からはフランクと同様の危険な雰囲気が漂うが…。

ザ・ハンドの城まで到達したアレスと、これを迎え撃つパニッシャー
さあ、第2ラウンドといこうじゃないか!