ザ・ハンドの本拠地に迫るアレス率いるアポストル・オブ・ウォー。
これを迎え撃つフランクだが…。
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【あらすじ】
デアデビルを退け、妻マリアを護り通したフランク。かの恐れ知らずの男との戦いを経て、フランクに与えられた“ビースト”の力を増す結果となった。腐れ縁との戦いはフランクに真に“信仰”すべきものが何だったのかを再認識させた。家族と闘争。2つの相反する存在を大事にすることこそが、フランク・キャッスルの延いてはパニッシャーのあるべき姿だったのだ。
【Bullets】
前号にてマリア・キャッスルの視点で描かれたフランク・キャッスルの異常性。デアデビルとの戦いで描かれたフランク・キャッスルの家族への愛情。戦うこと、もっと言えば人殺しを求めながらも家族を大事に思う様は、これまで描かれてきたパニッシャー像に新風を起こした。ザ・ハンドの王と祭り上げられながらも、新しいオリジンが加えられようがフランクの在り方は変わらない。殺人衝動に突き動かされ、危ういながらも保ち続けている人間性こそがフランク・キャッスルを示すものであり、それに“パニッシャー”という名を与えられただけなのだ。
まあ、今号からフランクの異常性がますます強調されていくのだから色々と台無しな気がしなくもない。
そんなフランクだからこそ、身体に宿る邪神の力に飲まれなかったのかもしれない。ある意味誰よりも人間らしい攻撃性と、懐の深さを持つ男は“ビースト”由来の力を以前よりも遥かに高い精度で振るうことができるようになったのだ。捕らえた悪党の処刑場にて、敢えて彼らの枷を外して自分に向かわせ、司祭の前でその剛腕を振るう。
「キング・オブ・キラー」の振る舞いに司祭も満足気だ。全ては“ビースト”の言う通りに事が進んでいるのだから。
しかし、フランクが信じる対象は最早“ビースト”でもましてやアレスでもない。フランクからすればアレスは抹殺対象だし、邪神に傅く気も更々ない。真に信じられるのは培った殺人スキルと怒りの感情、そして愛する女と自分と同じ境遇に立たされたニンジャたち。アポストル・オブ・ウォーの侵攻を目の当たりにしたフランクは部下たちを呼び、彼らに語る。ただ黙って“神”に従っていては大切な者を失うだけだ、と。“神”と呼ばれる奴らは俺たちの手で残らず倒すのだ、と。
“ビースト”を崇拝するニンジャたちからすれば「キング・オブ・キラー」の演説は憤慨してもおかしくない問題発言だろう。だが、彼らもフランクの戦いとザ・ハンドの在り方を目の当たりにしたことでその認識も変わっていた。王の号令にニンジャたちは諸手を上げ、叫ぶ。「神の下に“パニッシャー”様に祝福あれ!」
己の立ち振る舞いを見せることで、大勢の部下たちの士気を高める様はまさに王の振る舞い。そこは司祭の目論見通りだっただろうが、彼女の計画は自分らしさを取り戻したフランクによって少しづつ狂わされていく。フランクの目を覚まさせたのはアレスやデアデビルといった敵対者たち、そして妻マリアの存在。全ては彼らの存在を軽視したことから始まったことに司祭が気付くのはもう少し先の話。
そしてフランクが“戦争”の準備を進めている中、マリアもまた言いようのない不安と拭い難い苦痛に苛まれていた。フランクがどうして“パニッシャー”と呼ばれているのかは今でも分からない。それでも夫の帰りを待つ。夫から手渡された銃を握り、ベッドにうずくまる姿からはフランクと同様の危険な雰囲気が漂うが…。