パニッシャーvsアレス!
全ての悪を滅するために修羅の道を往く信徒の目を、戦いの神は覚ますことができるのか…。
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【あらすじ】
ギリシャ。数々の偉業と伝説を生み出し、栄光を極めたオリンポスの神々の聖地。その山々に囲まれた1つの神殿に侵入者の姿があった。
侵入者の名はフランク・キャッスル。最強の私刑執行人パニッシャーとしてその名を轟かせた彼は、己の目的のために悪党と手を組み、この世の全ての争いを生み出す存在を滅ぼすべく行動を起こした。そうしてフランクが次のターゲットと見定めたのが死の商人“アポストル・オブ・ウォー”と、そのリーダーである戦いの神アレス。
神殿に襲撃をかけ、次々に構成員を処刑していくフランク。そんなフランクをアレスは待っていた。今こそ、自らの信徒の目を覚まさせる時。それが“パニッシャー”を造り上げたアレス自身の責務なのだから。
【Gods of War】
ザ・ハンドと与し、彼らの王として君臨するパニッシャーことフランク・キャッスル。彼が己の在り方を曲げてまで悪党と協力をするのは、ザ・ハンドのためでも彼らの神である“ビースト”に服従したからではない。それは妻マリアとの幸せな日常を取り戻すためだということは、これまでにも語られてきた。あの日の公園で奪われた幸せを、一瞬のうちに無くしてしまった温もりをもう一度取り戻す。マリアと2人の子供たちと過ごす世界をやり直すチャンスを無駄にはしない。そのためにはザ・ハンドの秘術と彼の邪心の力が、どうしても必要なのだ。この不器用ながらも良き旦那、良き父として懸命に足掻く姿がこれまでにも描かれてきたフランク・キャッスルの1つの顔だ。
では“もう1つの顔”即ち、人殺しとしての顔はどうだろうか。今シリーズまでのフランクはアメリカ軍に所属し、数々の戦場を渡り歩いてきた歴戦の兵士だと描写されてきた。そこで身に着けた銃火器や格闘術を駆使し、血を流してきた顔はやがて家族が殺された怒りと悲しみをきっかけに、パニッシャーのそれへと変わった。これがパニッシャーのオリジンだった。しかし、今のフランクはそうではない。彼は幼い頃から既にパニッシャーであり、義憤を以て悪党を裁いていたのだ。この変化の影響は大きく、ちょっとした物議をかもしたものだ。
当然この変化を戦いの神であるアレスが認められる訳もない。アレスにとってパニッシャーは自分が造り上げた最高の芸術なのだから。それを横からどこぞの邪神にかすめ取られてはたまったものではないだろう。故にアレスはザ・ハンドと、その王として振る舞うフランクに挑戦状を叩きつけた。お前の創造神である俺が目を覚まさせてやる、と。
アレスはオリンポスの神々の1人であり、最高神ゼウスの息子。加えて“大英雄”ことハーキュリーズの義兄。雷神ソーとも渡りあう程の頑強さと戦闘力を持つこの男に、ただの人間であるフランク・キャッスルが勝てる見込みは万に1つもない。特にアレスの“義憤”に満ちた叫びに心が揺れ動いていては、特に。
調和を是としながらもアポストル・オブ・ウォーを結成し、世界中に強力な武器を売りつけたアレスの行動は決して正しいとは言えない。だが、彼がそこまでしたのは自身の神性のため、そしてフランクのためだということを考えると話が変わってくる。ザ・ハンドが乱した調和を正すためにアポストル・オブ・ウォーを作り、変わってしまったフランクに変わって自身のアーマーに“パニッシャーのシンボルマーク”を刻んだ。そうすることでパニッシャーは「これまでの設定どおり」戦争によって創り出された存在だということを示していたのだ。傍から見ると厄介なパニッシャーファンの行動だが、フランクには効果てきめんだったと言える。
もはや勝敗は明らかだった。フランクはアレスの拳の前に、なす術なく沈むしかなかった。しかし、アレスは敗れたフランクを殺そうとはしなかった。アレスが戦う理由は先述した通り、フランクの目を覚まさせること。力を以て自らに“義”があることを示し、あとは心を折るだけ。もう一押しで使命を果たせる、そう考えたアレスはフランクを捕らえ、ザ・ハンドの本拠地に匿われている妻子を始末するよう部下たちに告げる。ニンジャたちのくだらんオカルトなどまやかしに過ぎないことを、フランクには心身ともに分からせる必要がある。フランク・キャッスルという男は誰よりも、アレスよりも強情な男だから。
だが、そんな傲慢な“創造神”の専横をフランクが見逃す筈もない。アレスが否定した“ビースト”の力を怒りの感情で発現し、逆襲するが…。
フランクが突き入れた一撃は致命傷には至らず、荒ぶる戦闘神の拳をまともに喰らってしまう。意識を手放す瞬間に脳裏によみがえるのは、軍役時の記憶。初めて人を殺した時のことを自慢しあう同僚たちの中で、妻から送られた手紙と同梱された生まれたばかりの娘の写真を見やるフランク。家族のためにどんなことでもやってのける性分は昔も今も変わらない。不器用であろうがひたすらに前進あるのみ。ザ・ハンドに唆されようが、アレスの拳を受けようがそれだけは曲げられない。
しかし、物語はフランクが歪めた「パニッシャーとして歩んだ血塗られたロード」の結果を、フランク自身に突きつける。妻のためと言い訳をし、子供たちを外法で蘇らせることなどできる筈がない、と。“ビースト”の御前で意識を取り戻したフランクが見たのは変わり果てた姿で蘇った子供たちの姿。ヒトのそれとはかけ離れた“それ”は満足に言葉を話すこともできない醜い化け物だ。こんなものが子供たちな訳がない、だが同時に子供たちをこんな姿に変えたのは自分の業のためだ、とフランクは悟った。子供たちを見やる表情と始末を付けるために刀を抜く姿は狂気と愛情を同時に感じさせる(やっぱりアレスの言うことが正しいのでは…)。
葛藤と怒りに苦しむフランク。しかし彼の苦難はまだ始まったばかりだ。そして、もう迷っている暇もない。