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アメコミ:PUNISHER(2022)#3

私刑執行人パニッシャー、その真の原点が暴かれる。

パニッシャー”を形作ったのは少年時代に経験した殺人だった。

 

前回はこちらから↓

 

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【あらすじ】

世に蔓延る悪を滅ぼすために戦い続けるパニッシャー。邪悪なニンジャ軍団ザ・ハンドと手を組んだパニッシャーは、目下の障害であるアポストル・オブ・ウォーと彼らから武器を受け取ったヴィランたちを消すべく、世界中を回っていた。

配下のニンジャたちが倒されても、滾り続ける殺意。その様はザ・ハンドの司祭にとって喜ばしいものだった。あの時、幼いフランクに目をかけて正解だった、と。フランクの少年時代を引き合いに出して王の偉業を称えるが…。

アポストル・オブ・ウォーから武器を受け取ったヒドラに襲撃を掛けるパニッシャー率いるザ・ハンド。
殺人の王の無双振りに、配下たちの士気も上がるようだ。
【First Sacrament】

力を絶対のものとし、己の“義”を通すことを信条とするザ・ハンド。彼らが盲信的に遂行する戦いの拠り所は、彼ら自身が信仰する神“ビースト”。絶対的な力を持つ神の名の下に、衝動の命じるままに殺人を犯し、許しを請い、自分たちと意を異にする者たちを粛清する。そんなニンジャたちの頂点に君臨するのが、“ハイ・スレイヤー“即ち至高の殺人者と尊敬の念を向けられるパニッシャーだ。

フランク・キャッスルは以前と同じく悪党を処刑していきながら、彼らと自分は違うと言い聞かせていた。協力した見返りが上手かろうが、彼らと自分は本来なら敵同士。何度も命のやり取りを繰り返してきた者に尊敬されることなど不愉快でしかないだろう。フランクの目には常にニンジャたちへの敵意が伺える。

そんなフランクの考えを知ってか知らずか、ザ・ハンドの司祭は語る。フランク・キャッスルが至高の殺人者、パニッシャーとなったのは何時の頃からだったのかを。幼少期のフランクは周囲と壁を作り、心の殻に閉じこもり、常に己の内面に蠢く“衝動”を理性で抑えようとしていた。その“衝動”がよくないものだということは、幼いフランクにも理解できるものだった。ちょっとでも理性の蓋が外れれば、どうなるか分かったものではない。だが、そんな蓋は些細な事、例えば怒りなどの感情を持った時などで簡単に外れるものだ。フランクが初めて衝動を解き放ったのは、そんな子供の頃だ。

ある時、フランクが住んでいた街で、1人の男が己の正義を声高に叫びながら暴力を振るった。男はイタリアンマフィアに属しており、敵対する男に拳を撲殺した。止めに入った女をも殴りつけ、血を流し、悲鳴が木霊する地獄絵図。その光景を幼いフランクは見ていた。エアガンで遊んでいたフランクは、マフィアの男を止めようとライフルの銃口を向けるものの引き金を引くことが出来なかった。この時は蓋を取ることは出来なかったようだ。しかし、あの時に聞いた悲鳴は数日後も耳に残り続け、殺された男の墓に訪れた時は胸の中に言いようのない怒りの感情が渦巻いていたことをフランクは感じていた。その怒りはフランクを突き動かすには十分なものだ。銃を向けることが出来ないなら、己の持つ知恵を武器に“処刑”すればいい。幼いながらも、この時のフランクの表情はまさにパニッシャーのそれだった。

マフィアを待ち伏せし、油をぶちまけて火を放つ。
苦しみと死の恐怖から絶叫する男を見下ろすフランクの胸には、あのシンボルマークが…。

初めて人を殺したあの日、衝動に身を任せて人を殺したあの日。あの日の様子をザ・ハンドは何処からか見ていたのか。衝動を抑えていた蓋を取り払い、一切の容赦をすることなく始末する様を引き合いに出した司祭はフランクに詰め寄る。あの殺しこそ、フランクが“ビースト”に認められた瞬間だ、と。今までのフランクがパニッシャーとして行った私刑も、全て“ビースト”が認めたものであり、ザ・ハンドの“義”を通すための通過点に過ぎなかったのだ、と。

当然フランクはザ・ハンドとは違うと否定するが、司祭には常に余裕の笑みが浮かんでいる。口では違うと言っていても、本心では認めていることを司祭は分かっていたから。どのみち、今のフランクには選択権も足掻く権利もないのだ。

司祭との“話し合い”の中、マリアが豹変したことを耳にするフランク。
彼女は子供たちを見つけて家に帰ろうとするが…。

 

フランク・キャッスル、かつてのフランシス・キャスティリオーネは戦争に身を投じる前は熱心なクリスチャンだった過去がある。今やこの過去(設定)は忘れされたものだったが、その設定が思わぬ形で顔を覗かせることになった。フランクの傍には常に神がいて、神はフランクの行いをじっと注視してきた。その神が善いものか悪しきものかは、どうでもいいことだ。フランクは妻子が殺された時に、神を信仰することを止めた男なのだから。だが、その神が妻だけでなく子供たちも取り戻せると言ったら。

一度は捨てた信仰心を抱く理由には、十分なものだろう。

子供たちを神の名の下に蘇らせる。もう後には引けない。
その頃、戦いの神アレスはフランクを呼び続けていた。
アレスは戦争を司る神として、フランクをザ・ハンドから連れ戻そうとしていたのだ。パニッシャーを造り上げたのは自分だ、と。