地下鉄に劇場に、ゲートブリッジ。
ブルックリン中を駆け回る復讐の炎が嵐を起こす!
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【あらすじ】
夜の闇に包まれ、月明かりと街頭、車のライトが照らすブルックリン。そこでゴーストライダーと、復讐の精霊の追撃から逃れようとするゾディアックの逃走劇が繰り広げられていた。人質を取り、闇に溶け込もうとする卑怯者に怒りを爆発させるライダー、そして彼らの後を追って殺してもらうことを望むスーサイドと三者三様の思いが交錯していくこの街で、最後に立っているのは…。
【Sign of Death】
ライダーたちの戦いに乱入したスーサイドだが、彼はゾディアックには手も足も出ず完敗を喫してしまう。もともと死ぬつもりで戦うものだからスーサイドには攻撃を避けるという発想は湧かないようで、無防備に喰らってしまうのだから当然の結果だと言える。ゾディアックの放つ獅子座の爪で腹を串刺しにされ、地下鉄の線路に放り投げられて轢かれてしまったスーサイドだが、地獄王メフィストとの契約の元に死ぬことができなかった。五体満足で這い上がってくるタフな姿には一周回って笑ってしまいそうになる。しかし、死ぬために戦うその姿に、第三者である市民たちはゴーストライダーと同じく恐ろしいものであると感じさせると同時に自分たちを悪党から護ってくれているのではと認識されてしまう。スーサイド本人にはそんなつもりは勿論ない。彼は自らのエゴのために戦っているだけなのだから。だが、そのエゴのために戦う姿勢は市民を巻き込むものか、そうでないかで受ける印象が180度変わるのだから面白い。
ゾディアックも、そしてゴーストライダーもスーサイドと同じく自らのエゴのために戦う。どちらも“復讐のために”と叫びながら力を振るう。だが、その力の向く先は真逆だ。そして力への向き合い方も違っていた。ゴーストライダーはあの墓地で初めて姿を現した時から自らを“復讐の精霊”と称し、ずっと戦い続けてきた。ダニーに憑依する以前の記憶を持たず、自らのアイデンティティに悩み続ける彼は自らに課せられた使命を果たさんとしてきた。自分は罪なき人々の哀しみと怒りの声の代弁者でありそのための戦いから逃げはしない、常に己の存在に悩むライダーに使命から逃げることも自分が苦しい思いをするのを他者のせいにすることもしない。
そんなライダーとは対象的にゾディアックはそうではない。己の身体を弄ぶ悪魔たちに復讐するための計画のためならばどんなに非道なこともできる。自分以外の存在は全て敵なのだから、使い潰して捨てようが全く良心は痛まない。そして自分に脅威が迫ろうものならすぐさまに逃走を図る。そんな男にライダーは脅威以外の何者でもない。人質を取ろうが、地下深くまで逃げようが何処までも追いかけてくるのだ。執拗に追いすがる髑髏の姿にゾディアックは怯え、その姿にライダーは呪詛を吐く、逃がさないと。
自らが果たさんとする目的のためならどんなことでもやると考えるのは人間誰しもあるだろう。その目的を果たした結果齎すのことは置いといて、大事なのはその目的を達成しようと志したのは他でもない己自身であり、そこから逃げることも他人のせいにすることも許されないことだというだ。ライダーとスーサイドは己の使命や願望から逃げることはしないし他人のせいにはしなかったが、ゾディアックはそうではなかった。その違いは彼らの振る舞いにも現れていた。市民を盾にして逃げ続けるゾディアックの姿に、ヘルサイクルに導かれたスーサイドも次第に怒りの感情を芽生えさせる。
ブルックリンの街並みから始まったこの復讐劇も、地下鉄に下水道、再び地上に出てミュージアム、そしてブルックリン橋と舞台を二転三転としながら描かれてきた。どこまでも逃げようするゾディアックに、追い続けるゴーストライダー、そしてスーサイドと三人もの超人たちが織り成した戦いは非常に読み応えがあったものだ。
復讐のための戦いに終わりはない。この街に罪なき人々の血が流れることが無くなるまでは。