その「力」、ためらうな。
というわけで今回は映画インクレディブル・ハルクの感想だ。
映画版インクレディブル・ハルクはマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)作品の第2弾として公開された作品であり、2022年現在で唯一のハルクがタイトルを飾り、主人公として登場した作品だ。
インクレディブル・ハルクが公開された年は2008年。今ではアベンジャーズをはじめとした複数の映画をクロスオーバーさせた作品は当たり前かのように制作されているが、そのクロスオーバー要素を初めて用いた画期的なものだった。
今作のブルース・バナーがハルクとなった経緯はかのキャプテンアメリカを生み出したスーパーソルジャー計画の再現を目指したものになっていたり、作中でスターク・インダストリーズやシールドの名前に、アイアンマンことトニー・スタークが登場するといった知ってる人が観たらニヤリとする要素が多く、後のクロスオーバーイベント「アベンジャーズ」を意識しているのが分かる。
マーベル・スタジオがインクレディブル・ハルクを制作したのは、以前に公開されたユニバーサル版ハルクの評判を受けて「自分たちのキャラクターの作品は自分たちで作る!」と思ったのがきっかけなことを考えると、今作には非常に大きな意味があると言えるだろう。
だが、その反面で今作はMCUの世界観でもリアルにおいてもあまりフューチャーされてきていない。マーベル・スタジオとしては本作をなかったことにはしたくないのだろうが、権利元がユニバーサルであることとブルース・バナーを演じたエドワード・ノートンとトラブルが起きたことから扱いに困っていることから、表立って取り扱わないのだろう。非常に惜しいことだ。とてもとても惜しい。
筆者が惜しい、と思う理由はMCU中で唯一、何者にも負けない力強く、それでいて繊細なハルクを描いた作品だと思っているからだ。
ブルース・バナーは怒りを感じることでハルクに変身する。
ハルクに変身したバナーは無敵だ。軍の強力な武器も戦闘狂エミル・ブロンスキーの猛攻も通じない。有り余る「力」と元科学者の頭脳がそうさせるのかスクラップを盾にして投げつけたり、パトカーを引き裂いて即席のグローブにしてパンチ力を上げる、といった具合にバイオレンスな戦いっぷりに併せて知性を感じさせるのが素敵。
そしてバナーの恋人のベティの前では元のバナーの人格が現れるのか荒々しい様が一転して優しいものになるのも魅力的だ。美女と野獣、もしくはキング・コングか。
恋人のベティや、バナーを追うロス将軍、ハルクへのリベンジに燃えるブロンスキー“アボミネーション”、謎の男“ミスターブルー”等々とバナーを取り巻く人々も一人ひとりのキャラが濃く、話を盛り上げてくれる。
長々と書いたが、要は毛嫌いせずに観てくれ!この一言に尽きる。
昨今のMCUにはない純粋な「力」と「力」のぶつかり合いを描いたアクションは血潮をたぎらせてくれるだろう。2022年8月からディズニープラスから配信中のシーハルク・ザ・アトーニーに期待だ。